関西学院大学広告研究会 創設80年・復活50年の歩み ダイジェスト

2008年11月1日の広弦会定例総会にて「関西学院大学広告研究会 創設80年・復活50年の歩み」を発行いたしました。
そのダイジェスト版をご覧ください。
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関西学院大学広告研究会 草創期・復活期

関西学院大学広告研究会 草創期(S4年〜10年頃)

移転当時の上ヶ原キャンパス全景

関西学院は約80年前、創立40周年にあたる1929年(昭和4年)に「原田の森」から「上ケ原」へ移転しました。ヴォーリズ建築事務所設計・竹中工務店施工により19世紀初頭の修道院を起源とする「スパニッシュ・ミッション・スタイル」と呼ばれる建物群です。

正門の正面には学問の府に必須の図書館、右側に宗教館、左側には総務館、中央芝生を挟んで右手に神学部・文学部、左手に中央講堂・高等商業学部。校地の右手には10棟の宣教師館と6棟の日本人住宅、左手奥には成全・啓明・静終の3学生寮などがありました。

その後、1931年(昭6)9月財団法人設立認可を受け10月文部省に大学設立の認可申請。1932年(昭7)3月大学令による関西学院大学設立の認可が認可され、1934年(昭9)4月予科修了生を迎え大学学部が始動しました。

時計台のある図書館

関西学院大学広告研究会の創立はまさに上ケ原移転の直後から、1932年の予科・1934年の大学学部設立の前、高等商業学部(いわゆる高商)の時代に遡ります。OB名簿によりますと戦前は昭和6年〜10年卒業の方々の記録が残っています。

当時の活動を昭和10年卒業の新井桂三先輩の回顧(ADKG9号10周年記念特集掲載)から再現してみましょう。サマーストアのルーツ、企業とのタイアップ、実践を兼ねたアルバイトなど「広研」の源流は80年前にたどり着きます。

関西学院大学広告研究会 復活期(卒業S36・37年〜)

◆「広告研究会再発足表明の一文」ADKG創刊号(S38卒作成)より

ADKG創刊号

今日われわれの社会生活において、マスコミ活動を分離して考えることができないのが現実である。新聞、ラジオ、TV、雑誌etc.戸外に一歩足を踏みだしても、我々は広告媒体と無関係に1日も生活することができない。こうした現状にあってマスコミの働きをいかに利用するかということは、今後の企業活動にとって大きな課題となるであろう。

社会生活が複雑になれば、それにしたがって企業がその本来の目的を有利に展開するために、販売政策の一手段として「広告」の果たす役割は益々重要なものとなってきている。こうした切実なる現実に鑑み、ここに更に組織を充実し、古き伝統を土台に、新しい目標をめざして研究会を再出発することになったのである。

ADKG創刊号 巻頭言

広告の研究は広範囲にわたり、心理学的、美学的、社会学的、経済学的など多方面から考察されているが、我々はマーケティングから見た広告を中心として、広告費と商品計画といった一連の研究から進んでは技術的なレイアウトの問題、コピーの問題へと展開していきたいと考える。なお、これらの諸原理を応用して実際に市場調査、広告効果の測定などを行い、広告活動の実態を知ることになって、広告のもつ役割の重要性を更に深く認識し、正しい理解と意義を身につけようとするものである。

◆ 1961年(S36・37)卒代表者コメントより

卒業を前に記念写真

当時はほんの少人数の集団でありましたが、その後、後輩の皆様方の大変なご努力と熱意でもって研究会が大きく育ち、また、時代の要請にも応じ発展してきたのは、本当に喜ばしく、「よかったなぁ」という気持ちでいっぱいです。 振り返れば広告研究会は商学部の中で一粒の種がまかれました。

往年の高商時代に続けられた関学商学部広告研究会に鈴木信五郎教授を顧問に向かえ、古き伝統を土台に新しい目標を目指して研究会を再出発することになりましたが、当時の噂に聞く戦前の関学広研黄金時代の華やかさは何処を探しても面影は残っていませんでした。

昭和34年頃は岩戸景気といわれ経済界は高度成長をとげた時で、広告産業も花形産業のひとつとして脚光を浴びていました。こうした中で学生の間でも広告に対する関心が急激に高まり、部員の募集、部室の獲得、運営の方法と問題の山積する中で商学部商学会の中に広告研究会の船出をいたしました。全てが出発で、それだけに将来に対する夢も大きくその実現に研究努力しました。

振り返れば広告研究会が商学部の中で一粒の種がまかれた背景には「経済の高度成長」→「大量生産」→「大量消費」に向かっていく経済情勢のもと、企業活動における販売促進政策の一手段としての「広告」の果たす役割は益々重要なものになっていく時代でありました。その時代に鈴木教授の「広告論」を学びマーケティングの中で広告を捉えていこうとする気運が高まっていました。

この背景の中で初代幹事長をやった山名氏の熱意と努力があってこそ広告研究会は発足できました。山名氏は「広告」の将来性を強く感じ、興味ありそうな学生を説得勧誘しました。最初は他のクラブ、研究会に入部した者も、だんだんと広告研究会に興味を持ち定着していきました。広告の守備範囲は広くまだ少人数の研究会としては的を絞るのも難しく、又、各人の興味あるテーマも統一されておらず暗中模索の状態でありました。

商学部で生まれたということから、広告の基礎的な理論、「訴求」から固め、市場調査、販売促進と広告、広告の費用対効果の問題を勉強し、将来的には広告の実践、レイアウト、コピー等に広げていこうという合意がなされ、研究会活動がスタートしました。

 くわしい内容については「創設80年・復活50年の歩み」をダウンロードしてご覧ください。